だめなり戦記

発達障碍・毒親・二次障害の記録

社会人期・復讐編 その1

情報戦を制する者は、戦争に勝利する。真珠湾攻撃による空襲・原爆の正当化や、イラク大量破壊兵器プロパガンダを見れば、それは明らかだ。情報戦に正当性や大義など必要ない。より多くの人を騙して、味方に出来れば、それで良いのである。

N氏にも正当性や大義は無かったが、情報戦を制したのは奴の方だった。私の些細なミスを針小棒大に言いふらして評判を落とし、朝のミーティングで謝罪をさせた。今風に言うと、マウンティングに成功した訳である。

情報戦は印象操作であり、周囲からどう見えるかが全てだ。事実かどうかを問われる事は無く、嘘がバレても開き直れば良い。早い話、勝てば官軍なのだが、私はそれが分かっていなかった。

 

N氏と班長は勝ち誇り、新人も尻馬に乗って私を軽んじるようになった。課長と部長は勝負あったと判断したのか、それ以降は露骨にN氏の肩を持つようになった。この時に味わった数々の屈辱は、一生忘れられない。

ヤクザが人の弱みを握って脅迫するのは犯罪だが、上司が部下の弱みを握ってマウントを取っても警察には捕まらない。今なら立派なパワハラ案件だが、当時はそんな便利な言葉は無かった。

基本、ミスは誰でもやるものだし、他人のミスを突くような真似をすれば、自分のミスも突かれる。私はミスの突き合いは不毛と考え、N氏のミスを敢えて見逃していたが、結論から言うと、それは大きな間違いだった。

 

ひとたび戦争が始まったら、やれる時にやらなければ、こっちがやられるだけなのだ。

 

特に、N氏のように話の出来ない相手と戦うなら、手段など選んでいられない。それこそ速やかに相手の弱みを握って、先制攻撃で徹底的に評判を落とし、さっさと追い出すべきだったのだ。

実際、チャンスはいくらでもあった。でも「人としてそんな真似は出来ない」などと言う甘っちょろい考えの所為で、耐え難い屈辱を味わわされ、圧倒的に不利になった。そして、ここからの逆転は、ほぼ不可能だと思った。

何故なら、N氏がミスを連発しても誰も責めず、周囲が誤魔化してくれるからだ。そのミスの尻拭いをしてきたのは他ならぬ私だし、それで怒ってN氏を責めても、私の評判が落ちるだけだった。

 

何年も一緒に仕事をしてきた先輩方も頼りにならず、それどころか「大変だな、でも俺は関係ないから!」と良い笑顔を見せて来る始末だった。これまでの人生で、誹謗中傷やマウンティングには慣れっこだったが、この先輩の笑顔で心が折れた。

流石に、もう逃げるしかない、自ら異動を希望するしかないと思った。でも、やられっぱなしのまま逃げても、また異動先でスケープゴートにされるのがオチである。残念ながら、私は真面目一本槍で生きていけるほど、強い人間ではなかったのだ。

 

では、この職場で通用する「他の強さ」とは何だろう?

 

かつて強者として君臨していた二人のヤクザ先輩には、良心やモラルといった精神的なブレーキが無かった。彼らの強みは、過剰な攻撃性と、後先を考えないシャバっ気の無さだった。だが、この二人の暴力性は、異動先では通用しなかったと聞いている。

中学時代の不良共は、暴力で暴力に対抗していた。何故なら、暴力に対抗出来るのは、より強い暴力だけだからだ。不良共がやっていたのは、シャバっ気がある方が負けるチキンレースだったのだ。

二人のヤクザ先輩が中年になってもチキンレースをやっていたのは、それが得意な土俵だったからだ。でも、その土俵に上がれなくなったら、勝てなくなった。私がN氏に負けたのも、情報戦というN氏が得意とする土俵で戦ったからだ。

 

因みに、N氏は得意な土俵から絶対に降りないし、ワガママを押し通す為に駄々を捏ねてゴネまくる。恐らく、これがN氏なりの「勝利の方程式」なのだろう。実際、これで勝ち抜いてこれたから、自分に問題があるとは思えなかったのだろう。

N氏が土俵から降りないなら、その土俵を壊せば良い。N氏の嘘を暴こうとするのではなく、嘘が通用しない状況を作れば良いのだ。つまり、班の人間関係を完全に崩壊させて、N氏が副班長として責任を取らざるを得ない状況にしてやれば良いのである。

我ながら酷い発想だし、屈辱を味わう前の私なら、まず実行に移せない。だが、N氏一味の嘲弄は、私の良心や罪悪感を吹き飛ばすのに十分だった。それに、10年近く一緒に仕事をしてきた先輩の嫌な笑顔や、課長部長のしたり顔にも心底ムカついた。

 

他人を試す者は、他人に試される。次は私が試練を与える番だ!