社会人期・新人編

社会学者・加藤諦三先生の著書を読み、自分が精神を病んでいる事に気づいてから、いわゆる「夢」を追う事はしなくなった。全ては健全な精神を取り戻してからの話であって、恋愛と結婚、鍼灸の道などは、その後に考えるべき事だと考えた。

当時の郵便局は定員割れをしていた事もあり、私のような出来損ないでも簡単に就職する事が出来た。就職するまで、郵便配達は気楽な稼業だと思っていたが、実際は割と大変な仕事だったし、何より職員の質が低いのが気になった。

同期の大半が、バイクや自転車の窃盗を自慢するようなクズだったし、先輩の半分以上がヤクザみたいな人達だった。「これはえらい所に来てしてしまった」と思ったが、時既に遅し。高卒だと、転職しても似たような所で働くしかないと思い直した。

 

配属先の班は、ヤクザ職員のボス格が二人も居るという、集配課の中でも最も評判の悪い班だった。組合の人間から、私の前に配属された先輩社員が、今でいうパワハラで何人も辞めさせられているという話も聞いた。

それまで部活ばかりでアルバイトの経験も無かった私は、ハッキリ言って世間知らずだったし、要領も悪かった。先輩ヤクザは、最初は怒鳴ったり罵倒するなどしてきたが、そのうち嘲笑したり、おちょくるようになってきた。

ヤクザ共は、生まれつき要領の良い人や、仕事のできる人なら、どんなクズでも放置する。だが、従わせるのが難しいとか、足手まといになると判断した人は、こういうやり方で排除すると聞いた。

 

ちょっとした事で怒鳴られ、脅され、無理難題を吹っかけられ、虫のように見下され、嘲笑される日々が続いた。仕事でミスをした時に物を投げつけられた事もあったし、タバコの煙を吐きかけられて負け犬呼ばわりされた事もあった。

当然心が傷ついたが、まだ右も左も分からない状態では、反抗など出来る訳も無い。次第に朝起きるのが辛くなってきた。またイジメられるのが分かっているから、目覚めの不安感が凄いし、職場に行くのが怖くて仕方ない。

朝のTVでやっている占いで、良い目が出ないと死にたくなる。でも、それを見ないと一日が始まらない。ボロボロになって帰宅すると、もう寝る以外の事は出来ない。でも、酷い悪夢(迷子になる夢が多かった)にうなされるので、寝るのも怖い。

 

私は毎晩、腹も裂けよと食い物を詰め込み、浴びる様に酒を飲み、一日二箱ものタバコを吸うようになっていった。たまの休日は朝から晩まで寝ているか、一日中TVゲームをして過ごした。

料理や片付けをする時間すら惜しかったので、食事は全てコンビニ弁当。掃除もしたくなかったので部屋の中は荒れ果て、ゴミだらけになっていった。そしてある朝、このままではヤクザ共に心を殺されると思った。

あの恐ろしい先輩達をやっつけるのは無理だけど、認めさせる事なら出来ると思った。認めさせるには、仕事を頑張る事だ。あまり仕事は早くないけど、とにかく出来る限り頑張ってみようと思った。

 

このまま先輩達にビビリながらコソコソと生きていくのは嫌だったし、どのみち仕事は毎日やらねばならないのだから、キッチリ出来るようになった方が良い。とことん精神的に追い詰められた結果、遅まきながら私にも現実と戦う覚悟が出来た。

急に頑張り始めた私を見て、ヤクザ共は「やはり俺たちのやり方は正しかった」とか「気合を入れて、マトモにしてやった」などと言っていたらしい。だが、私は今でもヤクザ共が正しかったとは思っていないし、反面教師にもならないと思っている。

毎日必死で頑張り、下っ端の先輩よりも仕事が出来るようになってくると、ヤクザ共も私を愚弄しなくなった。これにより、自分より立場や実力が下の者が居れば安全を確保できると知ったが、それはヤクザ共の性格の悪さも意味していた。

 

仕事を憶え、職場での地位を確保すると、ようやく自分自身の問題に取り組むだけの余裕が出来た。当然の事ながら、仕事を憶えようとしていた頃は、心理的な問題や、如何に生きるかを考える時間は無かった。

人生初の彼女が出来たのも、この頃だ。尤も、お付き合いと呼ぶには余りにも幼過ぎる関係だったが、それ故に己の至らなさを思い知る切っ掛けになった。この恋愛未満の経験は、心理学への興味と関心を、より強いものにしてくれた。

そして、心の仕組みを学び、理解が深まるにしたがって、私は私を嫌悪するようになっていった。何故なら、どう頑張っても傲慢さや自惚れ癖を克服できず、このままでは他人に好かれる謙虚な人にはなれないと思ったからだ。

 

今にして思えば本当に卑屈な考え方だが、当時の私は完全無欠の聖人君子にならないと、他人には好かれないと思い込んでいたのである。そしてそれは敵視していた不良やヤクザへの反発心から生まれた発想でもあった。

それなのに、いくら努力してもコミュニケーション能力が向上せず、他人との距離感も掴めなかった。とりあえずビジネス系の接遇マナーを身に付けてみたが、こんな事でどうにかなる筈も無し。

他人との関わり方が分からないと、他人が怖くなってくる。次第に他人との会話が苦痛になってきて、いつの頃からか他人の目を見て話す事が出来なくなった。つまり、視線恐怖症を発症してしまったのである。

 

この視線恐怖症は、50歳を過ぎた今も私を悩ませている。クリニックでカウンセリングも受けたが、症状は完全に固定しており、もう治る事は無いと分かった。

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