時代の仇花

先月、風俗嬢やAV女優が差別されている事を知ってから、彼女らのブログやSNSを読み漁っています。正直、八割方は文才の無い人達ですが、残り二割の上澄みの中には、作家として通用しそうな人が居ます。

実際、本を出したり有料記事を売っている人も居るのですが、何でこんな名文を書ける人達が性産業に行くのかと不思議に思う訳ですよ。因みに、私はAVは見るけど、風俗には一度も行った事がありません。

でも、ある元風俗嬢の記事を読んでいると、余りにも記事の内容が良過ぎて、ちょっと行ってみようかなって気になっちゃうんですよねぇ・・・。まあ、相方さんに殺されるから、行かないけど。

 

私が「文才があるなー」と思う人って、ゾッとするくらい冷めた目で、社会を外側から眺めている人なんですよ。早い話、社会に居ながら、属してないのね。こういう目を持っている人は、過去に散々理不尽を味わっている事が多いんだ。

場末のスナックのママが学者顔負けの洞察力を持っていたりするのは、それなりのものを見て来たからだろうね。人間はそう簡単には死ねないから、闇を背負って生きていくしか無いんだろうな。

つまり、怒りや嘆きを通り越して、心が死んでんの。そういう人は、三島由紀夫柳美里みたいなナルシシズム全開のニヒリストになりがちなんだけど、中には心の底をブチ抜いてニーチェみたいになる人も居る。

 

売春は世界最古の職業だと言われるだけあって、古代シュメールの時代から神聖娼婦ってのが居て、ギリシャ、ローマにも売春窟があった。そして記紀神話アメノウズメは、伝説的ストリッパーだ。

縄文時代は乱婚が普通で、弥生時代古墳時代は一夫多妻、飛鳥・奈良時代に遊行女婦(うかれめ)が現れて、室町時代白拍子や歩き巫女(巫娼)となり、いわゆる遊郭が出来始めた。一休宗純禅師と交流があったとされる地獄太夫も、室町時代の人だ。

江戸時代の遊郭は、寺社か、処刑場の近くに作られた。その理由は、亡くなった遊女を葬るのに都合が良かったり、寺社参拝後の精進落としと称して、女郎を買いたがる人が居たからだ。

 

戦後、GHQが公娼廃止指令を発して、売春は犯罪になった。でも、性産業は脱法的な方法で生き残っているし、新宿の立ちんぼや、パパ活女子も居なくならない。今も昔も、若い女の体は金になるし、大金が集まる所は文化の最先端になる。

で、そこで働く人の中に、冷めた目で、社会を外側から眺めている女性が居る訳だ。まさに時代の仇花って感じだけれど、それ故に浪漫があるのも、また事実。まあ、あまり深入りしちゃいけない部分だけどね。