私は絶対的な正義など存在しないと考えていますが、それは色々な正義があって良いと考えているという事でもあります。つまり、私にとって日本は日本人の為の国であって良いし、外国人との共生を図る国であっても良いという事です。
でも、外国人との共生を図る日本人の為の国というのは、ある種の矛盾を孕んでいます。それに、現在進行形で天皇を戴く立憲君主制の国が、王制を打倒したフランスのように共和制国家を目指す必要が何処にあるのかという話にもなってきます。
王制や帝制の良し悪しを論じる気はありませんが、とりあえず日本はこのまま立憲君主制の歴史を積み重ねていけば良いと思います。皇室を維持できなくなった時点で国としての歴史は終わりますが、それでも人と歴史と文化は残りますし。
だからと言って、積極的に立憲君主制を終わらせようとは思いません。それは革命を望むのと同じですし、今の日本には天皇に代わる国民統合の象徴は存在しないので、新たな象徴を戴くまで不安定な状態が続く恐れもあります。
仮に、国民統合の象徴を持たないまま、移民を入れて多民族国家に移行したら、遅かれ早かれ日本国内で民族紛争が始まります。何故なら、人間は既に持っている民族のアイデンティティを手放せないからです。
「自分は何人でも無い、言うならば世界市民だ」と主張する人も居ますが、この手の人物はアイデンティティが定まらず、自分なりの正義を振りかざしてロクに反省もしないのが分かったので、反面教師にしかならないと思うようになりました。
ゼロからアイデンティティを確立するのは難しく、守るものが無い人間は薄っぺらなプライドしか持てません。先人の経験と知恵が無ければ、我々は人間として成長する事すら儘ならないのです。
私は毒親育ちだったので、手探りでアイデンティティの確立を図るしか無かったのですが、もしその頃に先人の経験と知恵を否定していたら、恐らくアイデンティティ・クライシスに苦しみ、データとエビデンスしか信じない悲しい人になっていた筈です。
この世に絶対正義は存在しなくても、日本人としての正義は必要です。何故なら、共通の認識と共通の正義を持たない共同体は、赤子の手を捻るより容易く破壊する事が出来るからです。
立憲君主制の民主主義国家である日本には、多文化共生主義は馴染みません。もし国内の他民族が挙って祖国の正義を主張して、天皇を否定し始めたら、果たして政府はどうするつもりなのでしょうか・・・。