敵は己の中にあり

「この世に絶対は無い」というのが私の倫理であり信念なのですが、この信念に賛同してくれる人はあまり居ません。逆に、思考停止して「これだけは絶対にダメ!」と強硬に言い張る人の方が、圧倒的に多いです。

例えば、林原めぐみさんを極右だと罵ったり、ロサンゼルスの暴動に州兵を派遣する事に反対したり、戦争で死ぬのは全て無駄死にだと主張する人は、ある種のイデオロギー(思想)に基づいた主張をしています。

その思想が自分なりに練り上げたものならまだマシなのですが、どう見ても結論ありきで偏った情報に基づく片面的思考しかしていないので、正直、カルト宗教の信者と大差ないと思ってしまいます。

 

そういう人の中にはプロ玄人跣の勉強家も含まれますが、その豊富な知識で論敵をブチのめしてやろうとするのが困りもの。でも、正義と優越感に酔っぱらって論敵を見下したり、痛い所を突かれた時に詭弁を弄したりすれば、誰も耳を貸さなくなります。

多様性の時代と言いながら、意見の多様性を認めないのは、欺瞞以外の何物でもありません。絶対悪の象徴とも言える戦争にしても、ポジティブに受け止める事は出来るのですから、それこそ言論統制言論弾圧だけは絶対にしてはいけないんですよ。

戦争は広義の共食いですが、他の生き物を虐待・惨殺しまくっている人類という名の有害種同士で殺し合って共倒れになれば、他の生物が救われます。盗人にも三分の理って奴で、戦争でさえも肯定的に捉えようとすれば、出来なくもないんです。

 

理屈を捏ねれば、いくらでも正当化する事は出来るし、物事はどうとでも捉えられるからこそ、多様性を尊重する必要がある。でも、人類の中には、たったそれだけの事ですら理解出来ない者が居て、積極的に分断を煽ったり、言論統制を図ったりする訳です。

個人的には、他人に何を言われようとも、これだけは絶対に諦めないとか、アイツにだけは絶対に負けたくない、という強い意志を持つのは構わないし、むしろそういう気持ちは生きていく上で必要なものだと思っています。

でも、異なる意見を尊重せず、世界を一色に染め上げようとする試みには、私は賛同しません。私にも「この世に絶対は無い」という思想で世界を染め上げたいという気持ちはありますが、それを暴言や暴力によって実現したら負けだと思っています。

 

絶対的な何かを求める人は、迷いを振り切りたい人でもあります。要は「自分も間違っているかも知れない」と思うのが怖いんですよ。だから論敵を全否定する事で、自分の価値観と安心を守ろうとしているんです。

まあ、世の中には「この俺様が間違っている訳が無いだろう、バカめ!」みたいな事を平気で言い切れるアレな人も居ますけど、流石にそんな人を相手に口喧嘩をする暇は無いですね。ぶっちゃけ関わらないのが一番です。

こんな事を言っている私にも「絶対的な答え」を求める気持ちはありますし、その渇望とは四六時中戦っています。私の論敵は自分自身であり、勝ち負けを繰り返しながら死ぬまで戦い続けて、成長し続けるしかないと思っています。