SNS上では「外人という言葉は、Japやニガーと同レベルの差別用語であり、知らないのは教養が無い証拠だ」という事になり始めているようです。元は「外国人」の略称ですけど、時代の流れで蔑称に変化しつつあるなら、それも仕方ないのかなと思いました。
これがポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)という奴なのですが、ポリコレで差別や偏見を無くせたかと言うと、そんな事は無い訳で。ってか、差別用語を使えなくしても、差別心がそのままならダメですよね。
言葉狩りで使えなくなった言葉はいっぱいありますし、ちびくろサンボや手塚治虫の「ブラックジャック」に黒人差別の表現があると言われた時は、流石に「度を越えている」と思ったものです。
ポリコレ配慮で原作を改変して、大炎上&大爆死した映画もある事ですし、そろそろ世界はこのヒステリックな運動から卒業すべきだと思います。むしろポリコレが差別や偏見を煽り、社会の分断を生む原因になっているようにも見えます。
私自身も某ネトゲをプレイしていた時に、韓国人プレイヤーから「『韓国人』は差別用語だ!」と抗議されて唖然とした事がありました。でも、その韓国人に言わせると『日本人』や『チョッパリ』は、差別用語ではないそうです。
このままだとバカとかアホという言葉も使えなくなりそうですが、もしそうなっても京都のイケズ文化みたいに悪口や皮肉が無駄に上手くなるか、声のデカい奴が幅を利かせる世界になるだけで、ちっとも平和にはならない気がします。
世の中は綺麗事では良くならないし、正論パンチや言葉狩りで差別やイジメを無くす事は出来ません。だから結局は、世界を一つにしようとするのではなく、それぞれの違いを尊重して住み分けをするしかないと思うんです。
外国人とか、何々人と主語が大きくなるのも仕方が無いので、ひとりひとりが見えない国旗を背負っていて、下手な真似をすれば国のみんなに迷惑がかかると心得るしかないと思います。連帯責任や村八分にしても、共同体を維持する為の必要悪ですし。
こういう話をすると「だったら共同体なんか要らない、飽くまでも本人の問題だ!」とブチ切れる人が出てくるのが困りもの。確かに犯罪者家族へのリンチは残酷ですけど、それが犯罪を思い止まらせる抑止力になっている部分もあると思うんですよ。
国という共同体に属したくないなら日本国籍を捨てるしかないですし、社名を背負うのが嫌なら会社を辞めるしかありません。そういう所は、学校や家庭も同じですよね。では、何処にも属さずに生きていけるのかと言えば、それはそれで難しい。
国の安全保障は軍事・武力のみならず、食料、資源、エネルギー、インフラ整備なども含まれています。それは個人の努力でどうにかなるものではないからこそ、国や民族という大きな単位の共同体が必要になる訳です。
国内で起きる日本人同士のトラブルなら、日本人云々という話にはなりませんが、その代わり職業や出自、陽キャか陰キャかという話になってきます。結局、人間は何処からでも差別のネタを引っ張ってくるので、向き合おうにもキリが無いんですよね。
差別やイジメの無い世界は理想的ですけど、恐らくそれは見果てぬ夢であり、人間には実現不可能な世界なのでしょう。ですから、せめて自分が属する共同体に責任を持ち、無責任な個人主義者にNOを突きつけなければならないのかなと思っています。