インスタのリールを流し見していた時に、県内一イケてると評判のマグロ丼・加一の四代目女将の事を知りました。確かに女将は美人だし、料理の手際も良いので、頑張ってるなぁと思っています。
でもまあ、タトゥーがあろうがなかろうが、仕事を頑張るのは当たり前なので、「この女性はタトゥーが入ってるし、隠しもしないけど、仕事は頑張ってる」と評価するのは上から目線の逆差別にあたると思います。
和彫りやタトゥーを入れるのは本人の自由ですが、基本的に見せびらかして良いものではありません。何故なら、刺青は「人体に彫られた作品」ではなく、「移動する路上の落書き」だからです。
個人的には刺青の芸術的価値は高いと思っていますし、好きか嫌いかで言うと好きな方です。しかし、威圧的、攻撃的な厳つい図柄を彫る人が多い為、見る人を優しい気持ちにさせるものとは言えません。
例えば、世界中で高く評価されている路上芸術家・バンクシーの作品にしても、その本質は「路上の落書き」です。落書きそのものを嫌う人からすれば、作品の芸術性などは問う気にもならず、直ちに消したくなるでしょう。
芸術の中にも政治的かつ攻撃的な作品がありますし、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」では、昭和天皇の写真を焼いて踏みつける映像が問題視されました。しかし、名古屋地裁・高裁は、この映像を芸術と評価し、合法と判断しています。
これにより、昭和天皇と戦争を賛美したり、外国王室の写真を焼いて踏みつける作品も芸術と認めなければならなくなった訳ですが、モラルの観点からして、そのような作品をこれ見よがしに展示する事が許されるとは思えません。
いくら芸術作品と言えども、見たくないものを見せられたら、必ず不愉快になる人が出てきます。個人的には、表現の自由・不自由の前に、誰かの肖像を焼いて踏みつける映像など見たくないので、その芸術的価値を認めたいとも思いません。
そしてそれは、バンクシーの作品や、刺青にも言える事だと思います。法的には問題なくとも、モラルやマナーの観点から自主規制しなければならない場面はありますし、他人の気持ちに配慮しないワガママさは批判されて然るべきです。
行き過ぎた自主規制は表現の自由を脅かしますが、表現の自由は「見せる権利」では無いですし、あまりに多くの人を不快にする作品は「芸術の名を借りた暴力」と考えるべきものです。
だからこそ、刺青には隠すべき時には隠す配慮が必要となり、隠す気の無い刺青は「路上の落書き」を強制的に見せているのと同じ扱いになるのです。例えキティちゃんやドラえもんの刺青だって、見せられるのが嫌な人は居るんですよ。
個人的には、加一の四代目女将か、店員が大きなミスをやらかした時に、自ら謝罪に行って丸く収められるのかが心配になりました。何故なら、タトゥー&ピアスを隠そうともしない時点で、被害者から「出直してこい!」と言われても仕方が無いからです。
サービス業に謝罪はつきものですし、いつ頭を下げなければいけなくなるか分からない以上、タトゥー&ピアスは外すか隠すべきものと考えます。まあ、個人経営の店だと、自分まる出しの殿様商売でやっていけるのかも知れませんが。
因みに、ビジネス・スーツや、リクルート・スーツが、徹底して無難なデザインになっているのは、それだけ他人を身なりで判断する人が多いからです。と言うか、初対面の人に「見た目は気にするな、中身だけを見ろ」と言うのは、ただの甘えか暴力です。
ここまでの言葉は「加一・四代目女将」に対してであって、インスタグラマー・トチョニカペペ氏に対する言葉ではありません。SNS上でなら好きにして構いませんし、フォローする程度には好意的に見ています。
しかし、我を通す事と、自我の確立は、全くの別物です。公私の区別がつかない言動は批判されて然るべきですし、海外と国内でのタトゥーの扱いが違うからと言って、迎合する必要はありません。
ウチはウチ、他所は他所です。