愛情飢餓対策

前回の記事で、障碍年金受給者同士のカップリングは、男女共に情緒的な成熟が必要だという話をしました。情緒的に未熟な人は、自分の都合に他人を巻き込んでストレスを与えてしまうので、共同生活をするのが難しいんです。

では、どうすれば情緒的成熟を果たせるのかという話になる訳ですが、これがなかなか一筋縄ではいきません。何故なら、その根底には「心の栄養失調」という大問題があるからです。

発達障碍でも親の愛を一身に受けてこれた人は、情緒の未熟さで悩む事はありません。でも、毒親育ちは愛情不足だったり、歪んだ愛情を与えられてきた所為で、四六時中、強烈な愛情飢餓感に悩まされています。

 

愛情に飢えている「かまってちゃん」は、相手の都合などお構いなしにウザ絡みしてきます。まあ、私は遁世者ですから、一般人より心と時間に余裕がありますし、愛情飢餓の辛さも熟知しているので、何とか対応できますけどね。

とは言え、作業所や就労支援の職員でも持て余すような人は、誰かと同居したり、ルームシェアをするとトラブルに直結します。そういう人はグループホームで生活するか、単身者用の公団住宅で独り暮らしをさせる方が良いでしょう。

駄々っ子のような「かまってちゃん」が、社会に適応できるように躾けるのは難しく、時間も年単位でかかります。しかし、信頼関係の構築に成功すれば、全く不可能という訳ではありません。大切なのは、距離は取っても絶対に見捨てないことです。

 

因みに、ネガティブ思考が極まると、ポジティブ思考に変化します。陰陽論の「陰極まれば陽に転ずる」って奴かも知れませんが、ペシミズム(悲観主義)とオプティミズム(楽観主義)は表裏の関係にある事が体感で分かる事があるんです。

何故なら、物の見方と考え方を変えた所で、見ているものが変化する訳では無いからです。どの角度から見たって石ころは石ころのままなんだから、どの角度から見るのが正しいのかなんて、考えるだけ無駄なんですよ。

だから、悲観的に見ようが楽観的に見ようが大して変わらないし、その考えが役に立つかどうかはその人の都合でしかない。どうせみんないつか死ぬんだし、人類や地球も永遠の存在ではないのだから、誰かの記憶に残るかどうかも関係ありません。

 

特定の見方や、考え方に価値は無く、価値という価値観そのものが個人の都合や気分に過ぎず、絶対に正しいと言えるようなものでは無いとしたら、そんなものに囚われる事自体が愚かな話だとは思いませんか?

発達障碍や毒親育ちは、社会不適応な自分に悩み、その運命を嘆いている人が多いのですが、果たして社会そのものに適応するだけの価値があるのかって話です。意外と、劣等感から他人や社会を、不当に高く評価しているだけかも知れませんよ。

・・・とまあ、私の場合はこのような思想を土台にして、共同生活のルールを決めていました。また、同居やルームシェアをすると決めたなら、最初に「愛情飢餓感から共依存の関係になったら共倒れになる」という話をしておくのも大切です。

 

両方とも問題を抱えているなら、お互いの特性について話し合い、お互いに苦手な事を補い合い、助け合うという約束をしましょう。こういった対話と擦り合わせが出来ない人と共同生活をするのは、ハッキリ言って無理があります。

 

料理や掃除は苦にならない方がやり、苦手な事や出来ない事がある人は、出来る事や、やれる事をやりましょう。食費は一人あたり一日千円(月3万)もあれば十分で、余った分は外食費にしましょう。

家賃は1人あたり3~4万を目安にして、食費&光熱費として3万の計7万ほど入れてもらえば、何とか生活が成り立ちます。大切なのは、何が何でも見捨てられ不安の無い安全な環境(安全基地)を手に入れる事です。