個人的には、今を見据える現実主義者以外は、信用ならないと思ってます。何故なら、夢や理想を見ていると、思考に変なバイアスがかかるからです。「夢や理想があるから頑張れるんだ」と主張する人も居ますけど、私は判断の邪魔にしかならないと考えています。
ある種の理想というものは、過去に自分以外の誰かが考え出したものが殆どです。そして、その理想が素晴らしいものであればあるほど、ある種の信仰に近い形になっていくのが常です。
夢や希望は闇の中で瞬く光であり、その光に向かって行ったり、頼り縋ってしまうのが人の性(さが)というものです。問題なのは、その光が必ずしも「幸福な未来」であるとは限らないという所ですね。
世の中には、現実を自分の理想に近づけようとする理想主義者が多いのですが、その理想は単なるアンチテーゼか、ルサンチマンからの逆張りなので、革命に成功した後はボロが出まくって以前より酷い状態になります。
理想主義者の根底には「私はこんなにも素晴らしい事を知っているんだ。だから私は人として正しいんだ、賢いんだ」みたいな自惚れと思い上がりがあると見ています。だから妙にプライドが高かったり、平気で人を見下したりするんじゃないかな。
でも、変なバイアスがかかった状態でマトモな判断を下せる訳がないから、結局は失敗してみんなに迷惑をかけてしまう。なのに間違いを認めようとせず、言い訳や責任転嫁で保身を図り、更に事態を悪化させて責任を取ろうともしない。
この手の人が会社の上司や政治家になると、ペンペン草も生えない焼け野原しか残りません。
頭の回転が早かったり、膨大な専門知識を蓄えている人は、素直に凄いと思います。でも、その知識で自分の人生を豊かにしたり、自己を完成させる事が出来ていないなら、耳を貸す意味も無いかなと思うんです。
私の心に刺さるのは、苦しむ本人の血を吐くような叫びとか、人生の泥沼から発せられる嗚咽のような、リアルな表現だけですね。辛さのあまり汚い言葉を使う人も居ますけど、そこに嘘が無ければ別に構いません。
消臭されたお上品な言葉にリアリティは無いし、無臭に慣れ過ぎていて、それが当然で、むしろそうあるべきだと思い込んでいたら、そりゃあ他人のリアルな体臭や便臭はキツく感じるでしょうよ。
同じ非難や罵倒の言葉が使われていても、言う人によって心に刺さったり、全く刺さらなかったりするのは、そのあたりに違いがあるのかなと考えています。