毒親育ちには「逃げ場」が必要

毒親育ちの最大の問題点は、味方が居ないの一言に尽きます。マトモな親ならイザと言う時は必ず我が子を守ろうとするし、それこそ全人類を敵に回してでも戦ってくれる訳ですよ。でも、毒親は世間一般の価値観で、我が子を断罪する方に回るんです。

毒親育ち特有の疎外感無力感は、言うならば呪いの烙印です。この烙印は目には見えない筈なのに、何故か悪党は嗅ぎつけて、舌なめずりをしながら寄ってきます。だから苦労の絶えない一生になるんです。

今は毒親という存在が広く認知されるようになりましたが、私が若い頃は「子供を愛さない親は居ない」とか言われたものです。そうじゃなくて、毒親の愛情は一方的で、身勝手で、歪んでいるから迷惑だし、心が傷つくんだってばよ。

 

私は高校卒業と同時に郵便局の寮に入れたので、毒父親とは20年近く殆ど会わずに済みました。築ウン十年でネズミが出るオンボロな寮が、私にとって大事な「逃げ場」だったんです。もし就職に失敗していたらと思うと、今でもゾッとします。

私が見て来た限りでは、毒親と同居を続けて、幸せになれた人は居ません。それもその筈で、あの手この手で頭を抑えつけて屈服させようとしてくる人間と一緒に暮らし続けて、自分らしく生きられる訳が無いもの。

だから毒親からは逃げるしか無いんですが、高校を卒業しないと刑務所みたいな所しか就職先がありません。そういう所に就職すると、高卒認定試験を受けようにも周囲から妨害される可能性がありますし、実際に邪魔された人を知っています。

 

最近は歌舞伎町に集まるトー横キッズが問題視されていますが、あの子らは児童福祉の助けが必要なのに、酷い施設に当たって逃げ出したり、悪党に囲い込まれてどうしようもなくなった子達なんですよね。正直、トー横は「逃げ場」になってないです。

昭和の時代なら山谷みたいなドヤ街があったし、そこに逃げ込めば似たような境遇の人達に庇ってもらえたかも知れません。確か、ドカジャンを着て、丸坊主にして、ドヤ街に溶け込んでいた若い女性も居たような・・・。

日本三大ドヤ街として有名なのは、東京の山谷、横浜の寿町、大阪の西成ですが、個人的には肌に合いませんでした。私はカオスな街に住むよりも、山奥で自給自足の小屋暮らしをするか、日本各地の無料キャンプ場を転々とする方が性に合ってます。

山谷・泪橋



 

流浪の日々が苦にならない風来坊タイプの人なら、四国のお遍路を続ける四国辺土も悪くないかも知れません。因みに、辺土とは乞食の意味です。私は長い外仕事で膝の骨が変形しちゃったので無理ですが、一時期、真剣に考えた事があります。

また、スマートな車上生活を謳う、バン・ライフというスタイルもあります。最近はバンライフ系のYOU TUBERが増えてきた事もあって、少しづつ認知度が高まってきています。私もやろうと思えば、いつでもバン・ライフに切り替えられます。

全国展開している24時間フィットネスに入会すれば、シャワー、トイレ、Wi-Fiといったバン・ライフの弱点は、ほぼ克服できます。24時間営業なので、駐車場で一晩過ごしても不自然さはありません。

 

洗濯物はコインランドリーがありますし、食器洗いやゴミ捨てはキャンプ場の利用で解決します。住民票と郵便物は、ポケットレジデンスという個人向けのシェアハウスを利用するか、レンタル住所などのサービスを活用すると良いでしょう。

結局、私はバン・ライフではなく、偽装カップルでルームシェアというスタイルに落ち着きましたが、相方さんが見つからないなら山奥ニートに参加するのも手だと思います。家賃が2.5万〜2.9万円なので、年金三級の人でも十分暮らしていけます。

詳しくはブログが残っているので、そちらを参考にしてくださいな。

banashi1.hatenablog.com

 

 

イザという時に匿(かくま)ってくれる仲間や味方が居ない人には、こういう知識が必要になる事もあるでしょうし、こういう「逃げ場」や「逃げ方」もあると知っていれば、いつでも躊躇せずに逃げ出せます。

毒親から逃げるのは恥ずかしい事では無いし、親不孝かどうかを気にする必要もありません。呪いの烙印の所為でコミュ障になっているなら、烙印の者同士で助け合い、親交を深めていけば良い話です。

因みに、役所や施設の職員は、法律や規則で出来ない事が多過ぎるので、意外と頼りになりません。大病院の精神科医も、ドクター・ハラスメント率が高過ぎ。結局、我々が頼れるのは、自分で稼いだお金と、同じ苦しみを抱えている人だけだと思います。