私は発達障害&毒親持ちなので、心身ともに健やかで伸び伸びと育った健常者を羨ましく思う事があります。とは言え、早期リタイアして好き勝手に生きている今の自分が嫌いではないので、別に嫉妬はしていません。
人は誰しも自己中なエゴイストですし、時には隣の芝が青く見える事もあるでしょう。だからと言って嫉妬に狂ったり、エゴ剥き出しで生きるのは違いますし、ある程度は自己抑制が出来ないと獣以下の存在に成り下がってしまいます。
人間の本質は獣なので、自己抑制の出来ない人の割合が多くなるのは、むしろ当然。でも、それを「自分に正直なだけだ」と言い訳するような獣以下の存在は「森へお帰り、ここはお前の住む世界じゃないのよ」と言ってやるべきかと。
個人的には「獣の自由」と「社会的な旨味」の好いとこ取りを狙う人は嫌いですが、状況に応じてズルくも真面目にもなれる中庸の思想は必要と考えます。とは言え、実際はどちらかに偏るものですけどね。
その偏りは「生まれつきの属性」みたいなもので、なかなか自分の意思では変えられません。チャラい人は一生チャラいし、真面目な人は一生真面目なんです。でも、今の社会の仕組みだと真面目な人は損をするので、自己否定に陥りがちなのが困りもの。
もう10年以上も前の話になりますが、郵便局が「バカまじめ」というキャッチコピーでCMを打っていた時期があります。このCMだと美人女将に評価されて報われていますけど、実際は・・・ねぇ。
私も真面目側の人間なので、このキャッチコピー自体は嫌いではありませんでした。でも、真面目さが報われないと辛い思いをさせられますし、それが続くと人生そのものがイヤになっちゃうんですよね。
実際、結果や数字を出し続ける事に疲れ果てて、仕事から解放されたいとか、休みたいから死にたいと考えるようになる人は多いです。何せ、真面目さも度が過ぎると、本来なら他人が背負うべき荷物まで「自分が背負わなきゃ!」ってなりますから。
自分の荷物と、他人の荷物の区別というか、線引きが出来ない人は、いつか必ず潰れます。周囲からすれば、潰れる所まで行く人も、無責任な人と同じくらい面倒臭い人なんです。でも、真面目さを不当に高く評価している人には、それが分からない。
畢竟、人としての「マトモさ」とはバランス感覚だと思いますし、そのバランス感覚は、努力して、工夫して、酸いも甘いも知り尽くして、その末にやっと身に付くようなものだと思うんです。
もちろん身に付くまでは、痛い思いや、辛い思いもするかもだけど、それも含めて人生って奴なので、自分自身が円熟を迎えるまでの過程を楽しめれば、それなりに心豊かに生きられるんじゃないかな。