私は発達障碍者同士の恋愛や結婚、もしくはルームシェアといったライフスタイルに肯定的な考えを持っています。もちろんハンディキャップを持つ者同士が一緒に暮らすのは大変ですが、全く不可能という訳ではありません。
私自身、発達障碍+毒親持ち+視線恐怖症の中高年ひきこもりという最悪の事故物件ですが、それでも発達障碍+毒親持ち+鬱病で苦しむ女性と五年以上ルームシェアをする事が出来ました。
最初はお互いの地雷が分からなくて衝突を繰り返しましたが、相互理解が進むにつれて穏やかに暮らせる日々が増えて来ました。結局、誰かと一緒に暮らすという事は、相性の問題や、どこまで相手の欠点を受け入れられるかという話になると思うのです。
私にも「一生続く恋愛感情」に憧れた時期はありますが、そもそも人間嫌いなので、他人を好きになる事自体が少なかったんですよね。それでも何度か本気の恋愛をしましたが、残念ながら結婚と言う形で実を結ぶ事はありませんでした。
このような経験をした所為か、現在の「境遇が似ている異性と共同生活をする」というスタイルが割と気に入っています。お互いに同類意識はあっても恋愛感情は無いのですが、この先ルームシェアを解消しても相手を見捨てる気はありません。
正直、年収や容姿で結婚相手を決める自由恋愛より、同類意識で共同生活をする今の方が、人間本来の在り方に近いと考えています。恐らく、現代的な恋愛や結婚への幻想が消滅すると、縄文時代の邑(むら)社会に回帰する事になるのでしょう。
社会が多様性を尊重するなら、邑という選択肢を認めても良いんじゃないかと思っています。そもそも一夫一婦制はキリスト教圏の文化ですし、江戸時代までの日本は通い婚や、妻問い婚が一般的だったので、別に家族にこだわる必要は無いんですよね。
そもそも発達障碍や毒親持ちは、核家族でのワンオペ育児に向いていません。況してや健常者でも厳しい共働きとなると、精神を病むか離婚するかのどちらかになる可能性が高いです。
それが分かっている人達は、選択的子無し(DINKs)や、生涯独身を通したりします。世間的には理解されませんが、自分の子孫を残したいという本能に打ち勝ち、遺伝子の自然淘汰を望むのは、賢く、強い意志を持つ人物にしか出来ない事です。
現行の法制度と、都市集中型社会の組み合わせだと、核家族化が最適解なのは確かです。でも、発達障碍や毒親持ちにとって、核家族でのワンオペ育児はハードルが高いので、子無しや独身という選択が賢い判断になってしまうんです。
健常者でも核家族での共働きワンオペ育児は辛過ぎると愚痴るくらいですから、少子化が止まらないのは当たり前です。なのに何故、そんな歪(いびつ)な制度に殉じなければならないのでしょうか。
殆どの人は世間からの批判を恐れて、多少無理をしてでも世間に合わせているのでしょう。ならば何故、人目につかないようにコッソリと「自分達の邑」を作ろうとしないのでしょうか。
ハンディキャップを持つ人達には、頼れる仲間や味方が必要です。そしてその関係は、周囲からの偏見を跳ね返せるほど強く、しかもお互いを束縛しない自由なものである方が望ましい。
邑作りに必要なのは恋愛感情ではなく、同類意識だと思いますし、その一点だけでも十分過ぎるくらいの団結力を発揮できると思います。